愚痴だから。つまんないから、読まなくていい。

まず、何で自分の顔をCASなんかで出せるのか。
正気なの?
周りのこと散々
顔面ブスなのに、よく顔出せるよね~とか
言えるよな。
そこのあんたも同類なんだよ。

誰が可愛いとか、可愛くないとか
決める権利なんて無くて
じゃあ、誰が決めるの?って言われたら
わたしの偏見的な答えでいいのなら

“誰も判断しない。”

と。言いたいぐらいだ。

だが、そんなんじゃ、一生決められないじゃんとかカスみたいなことを抜かすやつもいるだろうから、そういった意見には

“万人受けしたらいいんじゃない?”

こう、返すことだろう。

わたしは何が可愛くて、何が可愛くなくて
何が不細工なのかなんて、基準を持ってない。
だからこそ、万人受けを望む。

自分の中で確実に可愛い、可愛くないのラインを引いてしまっている人は
自分の都合の良いように捉えてしまう。

例えば、AとBがいるとする。
AはBの事が嫌いだとしよう。
嫌いだという前提があるだけで、Bが何をしてても、きもいだの、ブサイクだのと決めつける。

そういう輩が私の周りには沢山いる。
呆れる。

誰かのことをブサイクだのなんだの格付けしていく奴がわたしは嫌いだ。

大体、ほんとうにかわいい子ってのは
その自覚すらしていない。
わたし、かわいい!…と思ってなんて生きてない。
そんな自覚してない子がいるというのに
自分は可愛いと前提を作ってしまい、残念な人がいることがとても哀しい。
可愛いと思ってるから、みんなに見られても
大丈夫
ネット上の知らない人に見られても大丈夫という謎の自身を持っているから、CASに顔が出せるのであろう。

だから可愛いっていうのは
見た目とかじゃなくて、その人自身の本質が
どうなのかで決まってしまうのではないかって
わたしは思う。

別に誰が可愛いとか、可愛くないとかは
それを言うだけで差別になったりもするだろうし、この類の話は不愉快なものしかない。
女子同士の可愛い褒めごっこは見苦しくて
見てられない。
せいぜい、その場で楽しんでくださいばーかって思ってる。

まぁ、そんなこんなで
昨晩は大いに心が荒れていたみたいで
この記事を書いて寝ようと思っていたが
知らぬ間に寝落ちていて
今朝読み返して、続きを書いて今に至る。

今朝も母はうるさかった。
忙しいときほど冷静になることを知らない
可哀想な母は、今日も慌ただしく職場に向かっていった。

朝ごはんを唯一向き合って食べる相手は
文句しか垂れない。ある意味自己中。
本当は静かな朝が欲しい。
彼氏とホテルに泊まって、次の日も彼の顔を1番に見れた幸せと
静かな朝を毎日迎えられたらどんなにいいことか。

母からの全てのものに、慣れてしまうのが怖くて、でも幼い頃からそんなんだから
慣れもクソもない。今はただの日常と化している。

幼いころの記憶ほど薄れないものはなくて
暴力、罵倒。そんな日々を送っていたと
そう思う。
良くここまで生きていたなと関心する。

この話はまたいつかします。
今回は愚痴だから。ごめんなさい。ありがとう。